2011年7月14日木曜日

愛媛オフ会開催のおしらせ



1. 開催主旨
「愛媛オフ会」は四国出身、もしくは四国圏で活動されている方々を対象に、自分の生まれた街や地域の魅力を存分に語り合い、親交を深める場です。
愛媛建築ツアーでは今治市圏を中心に、老朽化による取り壊しの問題が顕在化している、丹下健三の代表作である今治市民会館、隈研吾による初期の作品、亀老山展望公園、そして2011/7/30にオープン予定の伊東豊雄ミュージムを巡ります。
また、夕方から予定しているBBQ Partyでは伯方島にて行います。瀬戸内海の豊かな自然を酒のツマミに、おおいに盛り上がりましょう。
そしてこの会を通じて、愛媛県(四国)の活性化に向けて建築やまちづくりに何が出来るのか、考えるきっかけとなるような会にしたいと考えております。 村上翔

2. 詳細
開催日:8/14 (Sun)

-Time Schedule-
■ 愛媛建築ツアー
10:00 今治駅前集合
今治駅周辺 (丹下建築(今治市民会館や市庁舎など)、商店街...)

11:30 大島
※ フェリーで車ごと移動します
亀老山展望公園 (設計:隈研吾)

 ----昼食タイム----
※ 大島or大三島にて。少し遅めの昼食になるかもしれません。

15:00 大三島
※ しまなみ海道を通ります
豊雄ミュージアム (設計:伊東豊雄)


■ BBQ Party!!!!
19:00 伯方島
※ 建築ツアーのみ参加の方は、伯方島→今治駅の最終バス(18:30発)に乗車していただきます。
※ 宿泊用のテントをご用意しております。


3. 会費
\2000

3. 連絡先
参加を希望される方は、以下のメールアドレス、およびtwitterにて一報下さい。BBQからの参加も「可能」。
ふるってご参加下さい。

村上 翔 (東京工業大学 修士2 年) 四国中央市(旧川之江市)出身
mail : sho.mrkm@gmail.com
twitter : @sho_murakami

赤瀬 玲於奈 (小川博央建築都市設計事務所/OGA 勤務) 伯方島出身
twitter : @reona_akase

田原 奈央子 松山市出身
twitter : @noknok705

2011年6月1日水曜日

横国仮設建築・雑感


 この時期恒例の、横国仮設建築をみに行ってきました。

詳しい情報は、AARblog に建設中の情報が更新されているので参照ください。

さて、今年の仮設建築ですが、梱包用のPPbandを縦横斜めと細かく柱状に編み込んでいき、森のような空間を演出していました。
PPbandの正確な材種はポリプロピレン。プラスチック樹脂の一種です。
最初はPPbandのみで柱を建てようとしていたようですが、強度が足りないためスチールテープ(梱包用)で補強し、柱として自立するまでに至っていました。

ここで、講評に来ていた佐藤淳さんもおっしゃっていた事なんだけど、まず自立系まで持って行ったということは十分評価出来ると思います。

佐藤さんはスチールテープで補強していたことに対してすこし残念だったとおっしゃっていてそれをわかりやすく、数式で説明してくれた。
要は材料の構造的性能を示す重要な数値として“ヤング係数”があげられるが、ポリプロピレンのヤング係数E=15[tf/cm2]であるのに対し、スチール(鉄)のヤング係数E=2100[tf/cm2]。
この帯状の構造体。崩壊形式は座屈で決まると想像できるので、座屈荷重Pcr=π2EI/L2とすれば、単純に座屈荷重は100倍以上、強くなる。

ただ、座屈の式にもあるように座屈に対して強くするには様々な方法があって

①断面を変える (板厚を2倍変化させると、座屈には8倍、幅を2倍変化させると座屈には2倍強くなる)
②スパンを減らす(スパンを1/2にすると、座屈には4倍強くなる)
③端部を固定端にする(両端ピン支持のときと比べ、座屈には4倍強くなる)
④材料を変える

もちろん断面を大きくすると、その分自重もあがるし、常に想定している荷重量と比較しながら検討をすすめなければならないだろう。
ただ、建築を学んでいけば2回生とかで学ぶごく単純な式を扱うだけで、簡単な試算はできる。
少しの計算を経て、以上の4点から改善点をみつけ、また試作することを繰り返して案をブラッシュアップしていくことの重要性を問うていた。

ここまでが、仮設建築の最終講評で述べていた佐藤淳氏の総評。
これから自分の意見を述べていきたい。

まず柱単体についてだけど、鉛直材としての設計でみれば、座屈長を抑えるように材を編み込み、要所要所をスチールテープで補強していて成立している。
これは構造的にみても的確に問題を解決しているし、その結果自立できたということはすばらしいと思います。
だた横力に対する設計、すなわち地震や風に対する配慮ははたしてどうだろうか。

不静定次数という言葉をご存知だろうか。
不安定構造・静定構造・不静定構造の判別方法は、おそらく構造力学の最初に学ぶ事である。
今回、柱はいわゆる掘立柱(片持ち)の形式となる。
片持ちということは、柱脚を剛な状態にしなくてはならない。完全な剛(固定端)にするには、地盤の状態と基礎にしっかりアンカーすることなどが求められる。
さらに構造体としても、柱脚の曲げ負担が一番大きくなる。
この柱脚部の条件が満足できないと、片持ち形式は不安定構造物となる。
不安定な状態となった場合、横力に対しては自重で抵抗している以上の転倒モーメントには耐えられない、そしてこの材料は非常に軽量である。
風に対しては満足に設計できていないと言える。

以上、構造的なレヴューとなってしまったが、総合的に1つの建築として思ったことも結構あったり。
たとえば要求された機能に対して適応できていたのかとか。
学園祭は運悪く、2年連続で悪天候となった。よって仮設建築内で予定されていたプログラムは悪天候のためY-GSAのパワープラントで行われる事となった。
しかし、ここでもし仮設建築内に面を張ることができていたらどうだろうか。
少なくとも気候には適応できるようになるし、仮設建築内で対談やその他展示などもできるかもしれない。
さらにもし面を構造材として設計できていて、それが横力に耐える機構となることも考えられるかもしれない。
横国(に限らず最近の全国の建築学生)の仮設建築は、どうも珍しい材料や工法を使いそれを自立させる架構を設計することが命題のようになってしまっているのかなあと思って、それは少し疑問に思う。
それは最近の流行や教育的な側面からある種流れのようなものを作っているのかもしれないけど。
ただ珍しい構造架構を設計するだけでは、そこで要求される機能はやはり満足できないと思う。
(これは今年に関わらず、昨年、一昨年の案に対しても同じことがいえる)

実はこのような事は被災地に視察したときから感じています。
例えば津波被害を受けた鉄骨造は梁柱のラーメン架構は倒壊せずに残り、その変形性能は高い評価をうけている。
しかし、梁柱+水平ブレースが主要構造材であるとすると、そこに付随する外内装はえぐり取られ、屋根材の地震による落下が多数報告されている。
そして主架構が残ったのみの構造体では、とてもじゃないがそこでは生活できる機能は備わっていない。
面を張ることで、ある種の建築のハードな部分で機能が与えられるとすれば、建築の面材にも一定の構造スペックが求められるべきではないか。
面材には開口や断熱材など生活に必要な機能が備わっていて、断熱性や採光、構造性能を両方満足した部材が設計できないか。(まあ修論の研究背景にも十分つながってくる訳なのですが)
なんてことをぼんやりと考えています。
これについてはまた後日ちゃんとした形で、ラーメン構造と壁式構造を対立軸に、構造史の文脈に乗せて壁式の再評価するような文章を書きたいと考えています。

2011年5月6日金曜日

被災地視察・ボランティアの報告

5/3~5/4の2日間にかけて、東北の被災地へ視察、ボランティアへ行ってきた。
初日は宮城県北部から岩手県にかけてのリアス式海岸沿いをぐるっと、気仙沼・陸前高田を中心に視察。目の前に広がる瓦礫や鉄塊の山となった風景は、TVやネットで映像越しから観ていたもの以上に非常にショッキングなものでした。

特に陸前高田の自然に囲まれた農村地の被害は自分がみたなかでも一番ひどく、辺り一帯瓦礫の山で人の気配も感じられませんでした。

まだ捜索もおわっていないのだろうか…
ボランティアなど、応急的な処置はまだ介入できないような段階でした。


捜索終了の張り紙。

県立高田高等学校。ここは被災時に最上階まで水に浸かったといわれていて,被災直後に約100人ほど救出されたみたい。


つづいて気仙沼港周辺へ

港周辺とあまり広域を歩かなかったせいか、被害はあるものの復興に向けて少しづつ歩んでいるように思えた。
宮城県気仙沼市の大島と、気仙沼港とを結ぶフェリーは、もう運行を再開していた。やはり交通インフラの復旧は早い。

街の状況も、電気は通ってなかったが、道には現地に住んでいた人であろうか。
倒壊した建物から荷物を運ぶ人、道端で会話する人などがみられた。
おそらくどこかの学校(気仙沼女子高等学校など)に避難している人も、どうやら日が出ている間は元の場所に戻ってくるようだ。

写真は1層部分が層崩壊した建物

港周辺の写真。地盤沈下のせいか、いつも以上に海の水位が上がっている。


続いて石巻へボランティアへ。


NPO法人石巻スポーツセンター理事、松村さんの紹介で、西光寺という境内周りの泥を撤去するお手伝いをしました。
石巻は、前回(約1ヶ月前)にもY-PACerの一部の人たちがボランティアに参加し、そのときの様子から比較すると随分きれいになったそうですが、辺り一帯はまだ瓦礫が寄せられている状態。(ちなみに瓦礫を寄せて捜索が終了したエリアから順に、重機などが入って作業できるみたいなので、作業工程は進んでいる)

作業としては、スコップで泥を掘って運送用の一輪車で運び、1カ所にまとめるというもの。
ボランティアは我々のほかに宮崎県から来ていたスポーツクラブのおじさん達と一緒に作業。
宮崎から来た人たちは、去年起きた口蹄疫被害時にたくさんの義援金や寄付をして頂いた、ということで、今回いてもたってもいられず、わざわざ九州からボランティアへやってきたらしい。

辺り一帯は瓦礫の山で、すべてが津波でなぎ倒されてしまった風景。
しかしこのような心を痛めてしまうような風景でも、石巻市は、現地の子供たち、お寺の住職、そして全国からボランティアに駆けつけてくれる人たち。
そのすべてから街の活気が伝わってきて、不謹慎かもしれないけど自分の中では心温まるそんな瞬間に立ち会う事が出来ました。
この石巻の体験で、実際身体を動かしながら感じ取ること。考えること。
きっと街の視察のみでこの遠征を終えてしまったら個人的にしずんだ気持ちのまま、前に進んで行けなくなってしまったと思います。
今回こういう機会を提供していただいた松村さんには、改めてここに感謝の意を表したいと思います。



震災直後、建築に携わるものとして、建築構造という専門性を踏まえて、自分になにができるのだろうとずっと考えていた。
しかし実際現地へ行ってみて、まずは身体で直接実感することで、ようやく自分の中でこの震災に向き合うスタートラインに立つ事が出来たと感じた。
実際震災地の復興・応急的な処置は様々なタイムスパンや規模で行われていて
松村さんは、瓦礫撤去などボランティアの募集はここ1、2年は続くだろうとおっしゃっていたし
仮設住宅への入居も始まるだろうし
そのなかで自分がどの問題系にならフィットできるのか、をもっと冷静に判断しなくてはならないと思う。

そういった状況で建築的に何かできることはたくさんあると思う。
今回現地へ立ってみて、もう一度自分の考えを整理し、この震災に向き合っていきたいと思います。

PS:後に構造・技術的な視点で、別に文章をあげたいと思います。
ただし、もうすこし臨床体験を踏まえて書きたいとも思っているので、構造クラスタで一度ボランティアに行きませんか?
この件に関して何か意見下さい。よろしくお願いします。

2011年1月4日火曜日

2011

新年始まりましたね。皆さんあけましておめでとうございます。
2010年は新しい研究室に所属したこともあり、なかなか苦労した1年ではあったかと思います。

元々、横国の鋼構造系研究室に所属してはいたものの、今までアカデミックな色の強いところに所属していない分、週1のゼミや実験に慣れない時期もありました。(多岐にわたる寝坊、すみませんでしたw)

ただその慣れなかった部分というのが自分への甘えでもあって、今まで自由に行動できていた部分でもある。ようやく自身の専門性に本格的に取り組めるような環境で、腰を据えて勉強できるようになったと言えるのでしょうか。
そんな中で2010年、研究と両立(出来ていたのか定かではないが...)しながら、ATV2010の運営など多岐に渡りこなす事が出来たのは有難いことです。
今までY-PACで留まっていた会話が外に拡散されていくような感覚を覚えました。特にT工大のyさんやT橋のt君始め、SJ事務所での同期・後輩など構造系建築学生との議論が出来るようになったのは1つ前進出来たと思います。
年末のBNKに来てくれた20数名のメンバーが物語ってますね。こんなに面白い同世代の人たちが集まり感動すら覚えました。5年10年後に一緒に建築界盛り上げていきたいっすね。

さて2011年最初の大仕事として就職活動が待っています。私事では年内に面接を済ませており、結果待ちの身ではあるものの、正式発表があるまでは気が抜けないっすね。
twitterにて藤村さんがおっしゃっていたように、20代は焦らず、じっくり素養を身につけていきたいと思います。来年、出来るだけレベルアップした形で社会に出られるよう、今年1年精進していきたいと思います。

みなさん今年もよろしゅう。。